《おなまえコトのは体操》開発者浜田有弘…こうして生まれた
《おなまえコトのは体操》開発者浜田有弘…こうして生まれた」の項目は、「《体操》浜田有弘のプロフィール」や「《体操》開発者浜田有弘…こうして生まれた」等があります。
浜田有弘(マーケティング企画戦略プロデューサー&ディレクター&デザイナー)の体験からこの《体操》が生れた経緯を書いています。《おなまえコトのは体想》は、首が痛い、背中が痛い、腰が痛い、骨盤が痛い、股関節が痛い、「痛い痛い痛い体験」から生まれました。
★《体操》浜田有弘の「プロフィール」
浜田有弘のプロフィールは、「企画デザイン&マークロゴ&キャラクター(株)ジックランド」の「浜田有弘の紹介」→をご覧ください。
★《体操》開発者浜田有弘…こうして生まれた
痛い痛い痛い体になってしまった私(はまだ)の体のプロフィール
私(浜田)は、筋肉質の体育会系ではありませんが、40歳まではけっこうスポーツをしていました。学生時代はバスケットボール、成人してからは、毎週日曜日には町内会のソフトボールチームに参加、年に2~3回はスキーを楽しんでいました。スポーツを楽しむと同時にお酒もずいぶん楽しみました。
43歳で胆石(死ぬほど痛い)を患う。
43歳で胆石(死ぬほど痛い)を患い摘出手術で5ヶ月も入院しました。かなり重症でした。一命をとりとめ仕事に復帰しましたが、お腹に力をいれたら傷口が裂けそうで、それ以来運動を一切しなくなりました。
身長が175cmで体重が85kgを越えるようになりました。絵に描いたような肥満の見本体形になりました。仕事がデザイナーで一日10時間以上パソコンに向かう毎日です。運動はだめでもお酒はすぐに復活しました。大病にこりずに不健康な生活状態が続きました。
55歳頃に中国出張、太極拳を習う。
55歳頃に中国出張がありました。上海と成都で早朝にホテル周辺を散歩した折りに、本場の太極拳を見ました。あのゆるやかな動きに、「いいものだな~」と興味をもち、日本に帰り太極拳の教室に通いました。3年ほど習いましたが、その会に分裂騒ぎがおこり、どちらにつくか、つかないとかで、わずらわしくなって辞めました。残念でした。
胆石も痛かったが、また痛い目に。
60歳を過ぎた頃に自転車で転倒しました。頭、首、肩、背中、腰を強く打ち、しばらく起き上がる事ができませんでした。周囲の方が「救急車を呼ぶか?」と気を使ってくれましたが、はずかしさのあまり「大丈夫です」とおことわりしましたが、息が出来なほど痛かった。病院に行くのが嫌いなので、2~3日そのままにしていましたが、寝起きするのも辛くなり、病院に行きました。レントゲンを撮りました。まず頸椎が圧迫されて神経がふさがれていると。かなり重症のようでした。手がしびれていないかとたずねられました。悪化すれば難病になり、生涯治らないと宣告されました。
その3ヶ月後に椅子のキャスターが動き後ろにひっくりかえりました、また、首、背中、腰を痛めてしまいました。
病院通いが始まり感じたことがあります。
4ヶ月ほど通い、特に痛いときは痛み止めの注射やシップ飲み薬で対応、毎日の通院では温熱治療や電気治療を受けました。痛みは一時的には軽減するのですが、また、痛みだすというくり返しです。これからず~っとこんな調子が続くのかと思うと憂うつになりました。
医者の診断に感じたこと…。
整形外科医師の診断は初診以後は、1ヶ月に1回で「経過はどうですかと」言うぐらいです。その間は物療治療です。特に治療法は無いようです。私の場合は、マイクロ波温熱、低周波治療の2つで20分間、たしかにこの20分間は気持ちがいいですが、やはり完治向かっているとは感じません。完治しないとお医者さんがいうのですからしかたありません。物療治療中でも痛みはでてきました。
感じたのは、私が通院した病院の先生は若くてイケメンでおばあちゃんたちに人気のようでした。この治療室がサロン状態だと感じました。1年以上通院されているお年寄りも多くいました。
治療費は1~3割ぐらいの負担ですから、100~500円ぐらいの間です。これなら貧乏な私でも通えますね。仕事の合間に通えば休憩にもなります。驚いたのはマッサージの施術が保健で受けられるということです。巷のマッサージ屋さんに行けば2,000円〜5,000円ぐらいかかります。それが100円とか200円でからだをさすってもらえるのは気持ちがいいですが……?
そこで、私自身の痛みが毎日通院しないといけないか?
大方の人は通院加療が必要だから通っていると思うのですが、極論すればなかば暇つぶしに社交サロンにかよっている感じがしたのです。まったく私の個人的感想で、自分自身がそう思いました。独断偏見とお叱りをうけると思いますがお許しください。
そこで考えました。おそらくこんな状況が全国津々浦々で同じではないかと…、いったいどれだけの人数になるのだろう?
国も大変だ。医療費がたまったもんじゃない。と思ったのです。
そこで、私自身の痛みが毎日通院しないといけないのか? と
私自身は、通院を止めようと決心した。
それでも時には眠れないほど痛みが襲ってきます。その時は無理せず病院に行きますが、継続的に通うのは止めようと決心しました。
すこしは我慢しようと思いました。耐えられる程度の痛みなら安易に病院に行かずに、自分の健康は自分でなんとかしようと考えました。
自分で治そう!
自分で治そう! 自然治癒力があるではないかと思った。
お医者さんの診断にもとづく指導を受けることが基本ですから誤解のないようにお願いします。あくまで私個人の体験です。人それぞれの事情がありますから病院通いを否定しているのではありません。
腰痛には歩く事がいいと聞きました。しかし、毎日1万歩も歩けない。せいぜい10分くらい。少しはからだを動かさないといけないということで、仕事の休憩時の午後3時には、事務所で屈伸体操のような事をはじめた。リズム感のある歌を鳴らしてそれに合わせて膝の屈伸運動をする。続けていると、太ももの筋肉がかなり固くなってきました。
介護
親が認知症になって介護された方の手記やお話を聞きますと悲惨といわざるをえません。
誰もが直面する事です。私自身は、両親は早くなくなったので祖母を面倒みました。祖母を田舎に一人置いて私は大阪に出てきてました。その時は独身でしたから、祖母を田舎の地元の養老院に入れました。やがて祖母は認知症状になりました。その後結婚しましたら、祖母の親戚筋が怒ってきました。「おまえは小さいときからおばあちゃんに育てられた恩を忘れて、養老院にほりこむなんて恩知らずと」といって、祖母を車に乗せて大阪の私の家につれてきました。引き取ることになりました。
私は勤めがありますから家内が介護をしました。2~3ヶ月過ぎた頃祖母が「すまんな~」という言葉を何度も言うようになりました。なんでもかんでもボケてないのですね? 不思議でした。そしてまもなく、おだやかに旅立ちました。
私がこの経験をしてから、同じような方には「大変だけど十分面倒見てやったら」といいます。
たまたま私の経験は介護の期間は極めて短かったので悲惨という体験ではありませんでしたが、長期に渡る介護は悲惨だと思ます。というのは、介護離職等をやむなくされる方です。収入がなくなるのですから大変です、国の対策はご承知の通り充分ではありません。
この現実をどうすればいいのでしょうか?
国の補助金なども限界がありますす。お金の問題、お世話の大変さ。なんとかなるのでしょうか?
解決の方法は、一人ひとりが老後のためにいろいろ準備しているように、健康の準備が大事です。極力お世話にならない健康は自分で心がけるしか方法はありません。そのような意識を強くもちたいものです。
極力医療費を使わない。
そんな健康人間になり、その分を高齢者の生活援助にまわしほしいです。そういう思いで、まず自分から実行しようと病院通いを止めました。
そして、前出の三宅から首で名前を書く体操の提案があり、やってみればなかなか気持ちがいいし、おもしろいということでこの《おなまえコトのは体操》としてまとめたしだいです。
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