《おなまえコトのは体操》名前(姓名)の大切さとは?
《おなまえコトのは体操》名前(姓名)の大切さとは?」の項目は、「《体操》「国民総背番号制」が…。」や「《体操》「自己紹介」で名前は…」や「《体操》「名前」をなくしたあなたやわたし…」や「《体操》「自分」の名前でしっかり生き切る!」や「《おなまえコトのは体操》の「出番」です」や「《体操》人間は不満よりも「不安」のほうが…」や「《体操》名前は社会での「証明書」」や「《体操》自分の「魂」の年輪を重ねる…」等々があります。
人間も年を経てくると、人生においては、様々な役割や肩書があり、その為に、ご自分の名前(本名)で生き切ることが難しくなってきます。でも、自分の本名でしっかり生き切ることが、この世に生れてきた理由ではないでしょうか?
★《体操》「国民総背番号制」が…
以前に、世間では、国民総背番号制が取りざたされました。
しかし、是非の議論はともかく、例え、それが導入されたとしても、個人個人の名前は消えて無くなりません。そんなに簡単に消したり無くしたりすることはできないのです。人間の名前とはそれほど重いモノなのです。
名前が「モノを言う」…
世の中では、あくまで、その人の名前が「モノを言う」のです。それほど名前とは、一旦付けると「命」を持ち「力」を持ち、人はそれに影響されるのです。だから命名というのです。
★《体操》「自己紹介」で名前は…
もしも、自己紹介等で、名前を全く使用せずに自分のことを説明するのは、とても難しい。いや、不可能に近い。だから、姓名を大事にする日本では、名刺なども考えだされたのでしょうか。
「名前」がなければ…
例えば、自己紹介で名前を告げずに、「生まれ日は昭和60年3月30日、年齢は28才、住所は大阪、卒業大学は〇〇大学経済学部卒業、性格は社交的で人見知りしない。」等々と、いくら延々と言葉で説明しても、誰もその人を確定や断定はできないのですね。
名前はその人の「みしるし」
故に、名前(姓名)は、その人を現わす唯一のみしるしであり、それはとりもなおさずその人「そのモノ」、と云っても過言ではないのです。私の名前は、「三宅麗子(ミヤケレイコ)」ですが、「宮家礼子」でもなく、「見矢毛令古」でもありません。やっぱり、「三宅麗子」なのです。
名前が「独り歩き」する…
この世で一旦、自分の名前として受け容れれば、その名前が独り歩きし出すのです。ということは、付けた人や使う人がそれに意味を持たせた時から、その時点で、名前は命を吹き込まれ、生きる目的を持つのです。その意味やイメージ通りに…。
名前は「使命」を持つ…
例えば、私なら三宅麗子で、「麗(うるわ)しく麗(うらら)かに生きるために…。」という使命を持ち、浜田有弘なら「有るコトを弘めるために…。」という使命を持つ。では、あなたなら、どういう使命?
★《体操》「名前」をなくしたあなたやわたし…
以前に「名前をなくした女神」というテレビドラマがあったが、まさに、自分の名前で生きるのではなく、「○○ちゃんのママ」という「子供のママ」という代名詞での人間関係がテーマだった…。
「名前」は呼ばれなくなる…
今の世は、いかに一人の人間として生きられない社会なのか…。この世に生れて、幼稚園時代までは、自分の姓名でも名で呼ばれることが多いが、小学校に上がってからは、殆どの人は、名から姓(苗字)で呼ばれる。
そして、それ以後は、女も男も、姓で呼ばれ、社会人になって就職すれば、もはや、姓がその人を現わす呼び名と化して、名のほうは家族の間だけで通用する人も多い。
名前の変わりに「代名詞」が…
そして、結婚となると、名を呼ばれるのは、子供が生まれるまでで、子供が産まれたら、もう自分の名前を呼ばれることは無くなるという…。
お父さん、お母さん、パパ、ママ、お兄さん、お姉さん、お爺ちゃん、お婆ちゃん等々…。いくら一生懸命、「代名詞」で生きても、本当に、自分自身を生きたとは言えないのでは?
★《体操》「自分」の名前でしっかり生き切る!
そして、いずれ、「名前を忘れたおばあさん」「名前を忘れたおじいさん」として、この世を去る運命に甘んじる…。そうならないために、名前に息吹(命)を吹き込み、魂の活性化を促すことを、意識してやるコトが大切なのではないでしょうか?
自分で自分の「名前」を呼ぶ…
他の人に名前を呼んで貰えないのであれば、自分で呼べばいいんです。自分で自分の名前を愛情を持って呼んであげることから、その名前が生き還ってきます、蘇ってきます。
今の世の、名前を忘れた生き方から、ご自分の「名前」を、ご自分の意志で取り戻すのです。それは、自分にしかできないことかもしれません。
★《おなまえコトのは体操》の「出番」です
自分の人生を取り戻す、もう一度、生き直す、或いは、自分自身の魂に目覚める、そういう意味を込めて、そういうイメージで、この《おなまえコトのは体操》を行って頂きたい。
きっと、意識が変わります、そうすると波動が変わります。するとまた心も変わります。その結果、体も変わっていきます。そして、そして…。
《おなまえコトのは体操》の「役目」とは…
その結果、あの世では大いなる宇宙と一体となり、遂には、名前など必要のない超意識の世界で生きられるのではないでしょうか?
それには、まず、体を持つこの世で、自分の名前をしっかり意識して、グランディング、センタリングして生き切ることではないでしょうか? それがこの《おなまえコトのハ体操》の役目なのです。
★《体操》人間は不満よりも「不安」のほうが…
多くの悩める人は、ご自分の「依って立つモノ(拠り所、自信のもてるモノ、信じ切るモノ)」がないから、先行きが不安になり、それが悩みとなるのでしょう。
名前を「拠り所」にする
人間は、不満は我慢できるのですが、不安には耐えられません。そこで、ご自分の存在を証明する「姓名(名前)」をひとつの「拠り所(依って立つモノ)」にすることは、理にもかなっていると考えています。
★《体操》名前は社会での「証明書」
名前(姓名)は自分の存在を生きて行くうえで社会に証明するモノです。幸い日本では、漢字には意味があり、イメージがあります。声のひび氣は言霊ということも理解できます。
だったら、名前をひとつの「拠り所」にして、生涯自分の名前を慈しみ愛して大切にすることは、いいことだと思うのです。
名前には「個性」がある
名前には、単なる符号ではなく個性があるのですから、大いに活かしたいものです。私はカウンセラーをしていて「心」のケアーはできますが、それだけでは片手落ちで、「体」のケアーもできてこそ万全ということに気づきました。
健全な「体」と健全な「精神」が…
いえ、この物質文明では、体という健全な器(モノ)があってはじめで、心という精神も鍛えられるのでは、との思いにいき着きました。
健全な精神(心)が健全な肉体を造る。また、健全な肉体が健全な精神(心)を宿す。ということで、一時期、私どもは、太極拳を習っていました。その経験も活かして、この独自の《おなまえコトのは体操》を開発しました。
さらに詳しい「名前」に関しては…
更に詳しい「なまえ」については、三宅麗子の関連サイト「潜在意識の本質と神名(使命)の姓名本質リーディング! 」の「姓名(名前)は魂の本質を表す!」の頁や、「姓名(名前)を取り巻く日本の事情!」頁を参考にしてください。
★《体操》自分の「魂」の年輪を重ねる…
肉体(物質)の衰えはやむを得ませんが、魂(精神・心)の年輪を育み太く丈夫に育ることは、誰でもできるはずです。《おなまえコトのは体操》は、そのようなことにも配慮した考えで開発しました。
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