《おなまえコトのは体操》開発者三宅麗子…こうして生まれた-2
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私三宅は、首が一番重要だということに気付き、それを潜在意識が知らせてくれました。また、父親の認知症が、この《体操》ができる大きなヒントになりました。
★《体操》開発者三宅麗子…こうして生まれた-2
「首」は特別なモノ…
そして、さらに、体の中で一番、大切なモノは、首だ! と直感したのです。
実は、昔、「首」を交通事故でやられて、病院で首の牽引療法を受けていたのですが、いつの間にか行かなくなりました。
その後、ある出来事がキッカケで、激しい胸の発作が起こり、その同じ病院に駆け込んだら、同じ医師から狭心症と誤診されて、「一生病院通い」という辛い宣告を受けた経験が、あるのです。
それ(一生通院)を実行しなかったら、60歳以後には、必ず寝たきり老人になるとも、その医師に脅されたのです…。その医師は、私が以前に「首の牽引」に行かなくなったから、一生通院させるために、狭心症と診断したのでは? と、私は、一瞬、そう感じたのですが…。古いカルテを見れば、わかるでしょうから…。
だから、そのコトが、私の潜在意識の中に入っていて、首を特別なモノとして感じていたのでしょうか…。いくら、気にしないと強がりを言っても、やっぱり、人間ですから、年と共に、潜在意識を浸食していったのでしょう。そして、その影響なのか、一番大切なのは、首だと気づいたのですね。だから、医者に宣告されたコトも、決して偶然ではなかったのです。
「首」は天と地を繋ぐモノ…
首に意識を向けますと、人間の首から下の胴体と、首から上の頭は、全く別な世界に住むモノのような感じがします。
というか、首から下は地球に生きていて、首から上は地球だけでなく宇宙でも生きているというようなイメージがします。或いは、首から上は、宇宙にどっぷり浸かっているというか…。とにかく、首から上は、自分のモノであって自分のモノではないような…。
地球に住む胴体と、宇宙に住む頭というか、或いは、人間が支配する胴体と、宇宙(神)が支配する頭という、感じでしょうか…。
その似て非なる、二つのモノを繋げているのが、この首なのです。だから、命の次に、大切なモノが首なのですね。
肩凝りでなく「首凝り」…
人間は、動物と違い、直立して、立ったり歩いたりするので、特にこの首が大切なのです。赤ちゃんでも、首が座るということがとっても大事なコトとされています。そういう意味では、現代人は余りにも「首」に無頓着で、かえって酷使しすぎているようです。
私も、パソコンで首がパンパンに凝りますが、それが慢性化してしまい、本当は、首が凝っているのを、肩凝りと擦り替えて、無頓着に過ごしています。本当は、「肩凝り」でなく「首凝り」だというのに…。
「首廻し」から閃いた…
公園で、それに「ハタッ」と気が付いて、これではいけないとイタク感じ、意識的に、自分の名前を唱えながら、首で、自分の名前の文字を描きながら、首廻しをしておりました。
すると、とても気持ちが良いので、首だけでなく、手でも名前の文字を描きながら、太極拳のようなフリをつけることを思いついたのです。そして、身体全体でも、名前の文字を描くことに行きつきました。その場合は、腰を中心にして描くと、腰にもとても効いたのです。
昔の人は、腰をとても大切にしていました。その近くに丹田という部位があり、氣を司るところとも言われています。だから、正座や座禅をすれば、背筋が伸びて、意識もシャンとなるのでしょう。
私は、腰が重要なのは、臍の緒に関係しているからだと思っていますが…。この「臍の緒」は、またとても重要で「曲者」なのです。
尊敬していた「父親」が…
また、自分の名前を唱えるというコトは、私の父親が関係しています。
父は、私が理想とする人間でしたが、唯一残念なコトは、年老いてからは、企業戦士としての抜け殻のようで、最後は、子どもである私の名前や自分の名前すら忘れてしまいました。そのくせ、途中入社した大手企業の名前は、感謝感謝で、一生忘れませんでした。それはそれは、子どもとしては、見ていて涙がとまりませんでした。
それと同時に、人間、いくら感謝して会社の名前だけを覚えていても、自分の名前を忘れてしまい、自分が何者だったのかもわからないで、人生を終える生き方には、私にはとても納得できないという感じがしたのです。
尊敬していた父親だからこそ、その子どもであればあるほど、何か、とっても腑に落ちませんでしたし、悲しい思いも致しました。人間の生き方からはずれているというような、悲想感、絶望感とでもいうような…。父親が偉大であればあるほど、その現実に直視できない辛さや、理不尽さを感じる、のでした。
父親から「なまえ」を意識することに…
そして、そんな悶々とした思いの中から、人間にとっての名前というものを、より意識するようになっていったのです。そして、公園での太極拳のカタを忘れる自分の人間としての存在にも…。
だから、名前を意識して、手を動かしたり、体を動かすことは、父親との経験から、学んだことだったのです。いえ、その時には、そういうはっきりした意識はなかったのですね。ただ、無意識に、心の赴くままにやっていたのです。
ただ、私は、父親のように自分の名前を忘れるような生き方は、絶対にしたくないと、心の中に、強く意識したことは事実です。それが潜在意識にも影響したことは間違いのないコトなのでしょう。それが、無意識に、公園でなまえを唱えるということに繋がり、結果的に、この《体操》ができた基になっているとの思いに至りました。
好奇心の塊、「浜田有弘」からついに…
そして、私の動作を観ていた、好奇心の塊であり、アイデアの王様であるクリエーターの浜田は、それをきちんとした《体操》として世に出そうと思いついたのです。私は、びっくりしましたが、さすがはクリエータと納得し、私の発案した体操を具現化する方向に進みだしたのでした…。
そうこうしていると、2011年の大地震の年も終わり、2012年の春を迎えておりました。やっと、自分にとって必要な体操というか運動というのが、完成したのです。難産の末、産まれたのがこの《おなまえコトのは体操》なのです。長い長いトンネルは、1年間以上にも及びました…。
時期尚早…
そして、2012年の夏頃には、サイトをアップしようとしたのですが、アップする段になって、まだ早いという思いが…。そして、秋にも同じように、まだまだという思いが…。不思議なことにアップしようとすると心に待ったがかかる…。さらに、12月にはアップできると意気込んだのですが、直前になり、まだだという思いが…。一体、いつになったら、アップできるのか、それともこの《体操》は世間には必要のないものなのか…。
そして、またまた、ハタと気が付いた>のです。あのマヤ暦の2012年12月22日が影響しているのか? そうであれば、もうジタバタしないでおこう。あの22日以降にアップすればいい、いえ、来年になってもいいか~、と…。そして、その問題の22日は、何事もなく、一日が終わったのです。すると、それからロゴマークやユニフォームの案もスムーズに決まり出したのですね。
ずっと「潜在意識」でくすぶっていた…
そして、2013年に入り、やっと、他の諸々の準備も整い出したのです。さらに、追い風となるような世間の動きもありました。
2013年4月には、厚生労働省が健康寿命の延伸を目的にスタートした国民健康づくり運動「健康日本21」や「健康寿命をのばしましょう」をスローガンにした国民運動「スマート・ライフ・プロジェクト」などで、益々国民の健康のための運動や体操に熱い視線が集まっていきました。
私の目のつけどころは決して間違ってはいなかったという自信も湧く中、《おなまえコトのは体操》のサイトアップも最終段階の調整に進みました。その後、一度、試験的にサイトをアップしましたが、やっぱり納得がいかず、即、削除することに…。今までにないものを世に出すのですから、神経を使います。
でも、やっぱり、3年間は、長かったし、きつかった! 3年と言っても、それ以前に太極拳に関わり出してから、疑問に思っていたことがずっとあったので、それから数えると、かれこれ10数年も経過しているのですね。その間、ずっと潜在意識でくすぶっていたのでしょう。何かが、たりない! と…。
それが、太極拳をやめて、5年以上も経ってから、気づかされるなんて!やっぱり、「求めよ! さらば与えられん!」 でした…。
色々な「気づき」がありました…
太極拳で満足される人は、それはそれでいいのですね。人間求めるものはそれぞれ違っていいのです…。でも、それで満足できない人間にとっては、他の方法を探すことが必要だったのです。それが、私の求めているコト、つまり、意識と呼吸と名前、そして、首と腰、手と足、そして潜在意識とイメージ、がキーワードだったのです。それを、父親の認知症から教わったのです。
名前を意識すれば、年を取っても、認知症にはならないということを…。そして、それを応用した体操は、今までに全くないモノだったのです…。だから考えた、そして創ったのです…。
そして、やっと出来上がったのが、この《おなまえコトのは体操》なのです…。この名前に決定するまでにも色々な案や氣づきがありました…。結局、ホームページができてから、さらにさらに1年の歳月が流れました…。私の心構えというか、覚悟が整うまでには、やっぱり、時期ってあるのですね。
しかし「世の中」に出るには、まだまだ…
そして、やっと世に出せると意気込んでは見たものの、皮肉なことに、東日本大震災以後、カウンセリングもさることながら、3冊の本を出版するために、超多忙になり、なんやかやと、雑用にも追いまくられ、さらに、病気で入院した母親を引き取ることになったり、その母が引き取ってすぐに亡くなったり、さらに飼っていたネコたちの死が重なったりで、中々、教室を開くことができませんでした…。
というか、私の頭の中から、すっかり「体操」という言葉が忘れ去ろうとしておりました。今から感じますに、まるで、時期尚早と、神様が教室を開かせないように、次から次へと違うコトをさせているかのようでした…。
やっと「令和」の時代になって…
そして、もう体操教室は、諦めかけていたのですが、この令和の時代に入った途端、ムクムクと、体操教室を開かなければ、という強い思いにとらわれたのでした…。あれから、かれこれ10数年もたってしまいました。それまでの熟成の時期が必要だったのだと痛感しております。
この《体操》が、長い年月を経た意味は、これが出るまでに、名前に関する著書『あなたは誰? 名前は運命を左右する?!』が世に出る必要があったのでは? さらに、『「カタカムナって何?」カタカムナで幸せになれるのか?』《前編》《後編》や、『六匹の猫たちは私の守り神様? 猫と病気と死を見つめて…不思議な体験談「猫の恩返し」』なども世に出る必要があったのでは? そして、満を持して、最後の最後で、この《おなまえコトのは体操》の出番だったのかと…。
また、とっくに還暦を過ぎた私一人でこの《体操》を広めるのではなくて、多くのやる気があり、気の合う仲間たちを募って、みんなでご一緒に、イキイキ・楽々・ワイワイ・笑い笑い、普及させて行きなさいという神様からのお知らせなのではと、イタク感じた次第です。ただ、完成してから私自身もほとんど公園で行っておりませんので、これから皆さんとご一緒にこの《体操》を進化させて行きたいと思っています。
宇宙の神(意識)に、感謝、感謝、感謝!
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